tsuno流野球論

NPBのデータをもとにした、投手についての考察記事を主に書いていきます。

野村克也さんの多大なる功績を振り返る。前半

先日亡くなった野村克也さんについて。

野村さんは南海での選手兼任監督から始まって、ヤクルト・阪神楽天と計4球団を指揮。通算5度のリーグ優勝、3度の日本一と結果を残すと同時に多くの人材を育てました。その象徴が今の12球団を指揮する監督の半分、6人が野村さんの下でプレーしたことがあるということです。

勝つ監督の代表としてもあげられる南海時代の前任者の鶴岡一人さんとまた違う戦い方で勝ちを重ねた選手兼任監督時代。

そこから選手生活を全うし、外部で野球を学んだ後にヤクルトへ。

ここでID野球が結実。在任中4度のリーグ優勝、3度の日本一へと導き、古田さん・高津さんなど多くの人材を同時に育て上げました。高津さんをはじめ、辻さん、栗山さん、三木さんはここで野村さんと関わっています。

その後阪神時代は成績を残すことができなかったものの矢野さんや赤星さん、井川さんなどののちの優勝に関わるメンバーの育成を行いました。

そして楽天では最終年に球団初のAクラスに進出、ボヤキ語録が取り上げられたりするなど楽天のチームとしての印象づくりにも大きく影響を与えました。また、阪神時代同様のちの星野監督時代での優勝に貢献するメンバーを育成することになります。

 

死去した際に多くの教え子が追悼すると同時に、野球をあまり知らない一般の人たちもまた大きなショックを受けている印象がありました。

 

なぜ野村さんは野球人だけでなく、多くの人にも愛されるようになったのでしょうか。

勿論残した功績は偉大ですが、それ以上に何かがあると感じ自分なりに考えています。

それについてはまた。