tsuno流野球論

NPBのデータをもとにした、投手についての考察記事を主に書いていきます。

変化は時代がもたらすものなのか?(「根性論」について)

僕はこの問いに関しては「否」と答えると思います。

 

変化をもたらすものは時代、時の流れではなくその時々において一番声の大きい世代の思想や原体験に基づいたものが広がっていった結果ではないでしょうか。

例えば戦中・戦後間もないころ(20世紀前半)の価値観の一部と僕は考えている根性論。

これらは「今やらねばやられる」「明日はあるかわからない」というような当時の世論・原体験を重ねてきた中で根付いたものであると思っています。

50年近く続いたこの時代と考え方は、当時幼児期であった世代が成長した東京五輪からバブル経済(20世紀後半)にかけてもほぼ変わることはなかったのでは。

というのは高度成長期からバブル経済を支えたメインの層は戦中戦後の考え方を持った大人の価値観を継承している、そして成功体験の中に根性論が入っていたことが大きいのだと思います。この成功体験の裏で多くの挫折や心身を壊した犠牲があった現実は見えることもなく。

人口自体が多く、例として1%が犠牲となった場合当時であればまだ代わりの人材を見つけることが容易であった…それが現在では若者の人口も減少し代わりの人材を見つけることが容易でなくなっているということが現実であり、多くの企業が「人材不足」と嘆いているものです。

根性論などで心身を壊すという経験がなく自身は成功し生き残っているからこそ下の世代にも同じことを行う。失敗すれば責め新たな人材を探す…が見つかりにくく、残っている人材は同じく心身を壊していく。人材不足になればなるほど一人当たりの負担は増え、より心身を壊しやすい環境を作り上げていく。そして、壊している人間は自分やその考え方が元凶であることに気づくことなく更に破壊を繰り返していき、その中で残った人間は同じことをさらに下の世代に行う…と。

 

なぜ昔に根性論が支持されたのかは大方が刹那的な考え方であったことが大きく、またその後は戦敗国という立場の中で必死に抵抗をした結果であるとも予想します。

 

これらの枷がなくなって、最も重要ともいえる人的資源が減少し限られてきている中でなお、心や身体を破壊しながらものづくりを行うことは未来への可能性を確実に少しづつ削っていると言えます。

これらの結果が出るのは数十年後。ちなみに戦後東京五輪等で工事を行ったり高層ビル群を立てた結果も関係している(と推測されている)ゲリラ豪雨に代表される異常気象はここ数年、当時から30~50年前後の時間差で発生しています。

 

今回は野球に結び付けることなく「根性論」を僕なりに推測してみましたが、野球やスポーツに根付く根性論についてはまたの機会に書いてみようと思います。