tsuno流野球論

NPBのデータをもとにした、投手についての考察記事を主に書いていきます。

今も野球に残る「時代錯誤の根性論」の根っことは?

 

tsuno2no.hatenablog.com

 先のブログにおいて、野球云々をおいたうえでの「根性論」を自分なりに推測してみましたが、そのうえで今もなお残り続けてしまっている「野球においての根性論」を考えていきたいと思います。

まず、高校野球の指導者についている人の多くに言えることは自身の成功体験に基づいた指導をし、甲子園(高校野球)をゴールととらえていること。

そして、もう一つこの「根性論」を助長しているのは高校野球を見ている第三者であるということ。

 

ここで声を大にして言いたいことは

「高校球児はテレビやスタンドで見ている人たちの見世物でもないし商売の道具でも何でもない。この先いろいろなことを学び社会に出て将来の日本を支えていく人材になる」ということ。

 

そんな優秀な人材を炎天下でヘロヘロになりながら戦っている姿を見て「頑張れー」だとか肩肘を壊したり内部に怪我を抱えている状態の中でも投げさせてボロボロになって「よくやった」だとか。再起不能になったりこの先に障害が残ってもなお他人事にして阿呆みたいに見ているのはちょっと自分には考えられないです。

怪我やスポーツにおける障害について最近少しずつ学ぶようになり、改めてこの「高校野球」と「甲子園」、そしてそれを取り巻く第三者や指導者、父兄やOBなどの歪な考え方に恐怖を抱くようになりました。

 

もちろん、この問題は高校野球におけるものだけでなく、さらにその下のシニア、リトルでも充分に問題になるものであると思います。身体が完全に完成されていない状態で肩肘への負担を大きくかけることはもちろんその後に影響を与えることは避けられません。本当はその前段階(幼児期)からボール遊びだったりかけっことか鬼ごっこなど、ジャングルジムとかいろんな遊具や竹馬など道具を使った遊びを積極的におこない走ることや切り返し、下半身を中心に体全体の動作を通じて基礎体力の向上を自然に図ることもまた非常に重要でのちの怪我のリスクを防ぐ一因になるのではないのではと考えてもいます。

 

今はどうしても外で遊ぶ場も少なくなってしまっているだけに約十年後にどのくらい身体に違いが生まれるのか。遊ぶ環境を削った結果が出るのもまた約十年後。そこで気付いても遅いだけに、今の世代はどのようにして未来を担う子供たちの身体を守り、心を守りスポーツで健康な心と身体を育成していくのでしょうか…。今の制度の元においては、共働きでないと最低限の生活すら危うく、子育て自体が放任とならざるを得ない社会。こんな中で、どのようにして未来の日本の担い手を育てていくのでしょうか。

僕は知りません。