tsuno流野球論

NPBのデータをもとにした、投手についての考察記事を主に書いていきます。

叱ることの意味、そして指導者の役割とは。

近頃話題になったプロ野球における公開説教とやら。

正直、怒る必要なくない?結果は自分の評価や年俸、クビや立ち位置に関わるだけなのだから。

監督や指導者はグラウンドに直接介入できるわけじゃないし、オーダー・ベンチ入りメンバーを送り出した地点で仕事は終わり。あとは現場に任せるのみ。そして勝てば選手のおかげで負けたら送り出した自身の責任。これが指導者としての責任なのでは。

そうして信頼して送り出した選手に文句を言うなんてことは、自分自身の怠慢に他ならないかと。試合に臨む前段階でそれぞれのことを徹底できていなかったことがすべて。

 

無論これはアマチュア段階、それどころか社会人全般に言えることだと思いますが、どこであっても自分のことを棚に上げて叱れば伸びる、だとか怒られてこそ一人前みたいな風潮も少なからず存在する現状。叱られて伸びる、と言っている人も中にはいますが、そんな人たちは褒めたり良いところを伝え、より良くするための手段を提示してみれば叱るよりも数十倍ストレスなく伸びることができる、と考えます。

ただ叱る、怒ったり手をあげるなんてことをするのは指導者の力不足。

伝えたいことや自分の意図していることが伝えきれないから使う手段、これを使わざるを得ないということは自分自身が相手に教えられるほどその行為・流れを理解できていないということと同義。人を指導すること、方向を指し導くことがどれだけ神経を使うのか、時間をかけて辛抱強く行うのか。それを理解せず目先のこと、今一瞬さえできればよいなんて考えた瞬間、その人は指導者として力量がないといえるのだと思います。

 

製造業だとか一般社会においても目先の結果が重視される近年、「人を育てる」ということをおろそかにした結果、指導者の指導力不足如実に表れ、中小企業を中心とした人材不足が進んでいるのでは。目先の結果だけを重視して、ただ言う通りに動くロボットを作るような感覚で人を育てることしかできない中間職が残り、考えて作業する人たちはどこかしらで悲鳴をあげて壊れてしまう。これが現状なのでは。

 

学校などにおいても、いじめという名の青少年集団による多くの犯罪が蔓延しているのもまた親御さんの「人を育てる」力の不足では。自分の子供ですら全うに育てられないような親御さんが他人を育て導くことができるわけがない。

改めて、「人を育てること」を考える必要があるのではないでしょうか。

人は有限、かつ徐々に減少・高齢化しつつあります。その中でいかにして限られた「人」という資源を大切に、寄り添いながらともに育てていくのか。今だからこそ未来を担う世代を今の現役世代・高齢世代が支えて希望を持てるような未来を導くことが必要なのでは。