tsuno流野球論

NPBのデータをもとにした、投手についての考察記事を主に書いていきます。

雑記 真のエース、稲尾和久。

今回取り上げるのは西鉄ライオンズ一筋で活躍した稲尾和久投手。

その中でも、入団し新人王を獲得した1956年から故障をするまでの1963年までの8年間にスポットライトを当てていきます。

稲尾投手が活躍したこの8年間、西鉄は7度のAクラスに4度のリーグ優勝、うち3度で日本一を飾るなど常勝球団の名をほしいままにしていましたが、その中にあって稲尾投手への依存度もまた非常に高く、先の記事で取り上げた金田投手に引けを取らず全体の1/4以上のイニング数を放っています。

 

金田投手との大きな違いは優勝争いを常にするチームであるが故のシーズン登板数の多さと白星。金田投手はシーズン70試合登板はありませんでしたが稲尾投手は実に4度。また、8年間の1/3以上の勝利を一人で上げていること。取り上げている8年間はいずれも20勝以上、30勝以上が4度ありながら20敗はなく一桁敗戦が4度で勝率は7割越え。シーズン最多での貯金は2年目の35勝6敗で実に29個。圧倒的なまでの負けない投手、まさにエースと呼ぶにふさわしい成績でしょう。

なお、金田投手は一桁敗戦はなく20敗以上も6度でシーズン最多貯金は17個となっています。

 

さて、金田投手を調べた後にこの稲尾投手を調べたうえでの個人的な感想を。

どちらも一人への依存度は大差ないのですが、優勝を求められるチームとそうでないチームの考え方の違いというのが二人の選手寿命にも表れたのでは?と感じさせられました。無理を押してでも投げなければならない前者に対し、無理をするより投げられるときに投げて結果を残すことがチームの成績を上げることに直結する、という後者。

 

打者投手違いますが、後者は現代でいうなればマリナーズ時代のイチロー選手に近かったのかもしれませんね…どのようにしてモチベーションを保ったのでしょうか。