雑記 国鉄スワローズは金田正一である。
最近過去のプロ野球について調べているのですが、個人的に目を疑うような成績を残している、尊敬できる方を今回は題材に。
1950年、2リーグ分裂に伴って結成されたチーム、国鉄スワローズ。
サンケイを挟んで今のヤクルトスワローズとなっていきます。
その元祖大エースというのが金田正一。
2リーグ分裂元年である1950年、夏の甲子園予選終了後高校を中退し入団。
その年8月23日にプロ初登板を果たすと30試合に登板、164回2/3を投げ8勝12敗、防御率は3.94と規定投球回(この年は180回)を逃すもののプロの打者に対しても一定の結果を残します。
その翌年にはノーヒットノーラン、1957年には完全試合を達成。
自由競争の時代の中での財政難、それに伴う慢性的に選手の質に劣っている国鉄にあって金田正一は救世主ともいえる存在。読売に移籍する1964年までの15年間、Aクラスはわずか1度ながらエースとして君臨し続け2年目からは14年連続20勝、300イニング登板かつ防御率トップテン、200奪三振を成し遂げた継続力は頭が下がります。
国鉄が15年間で奪った三振、得た白星のそれぞれ4割以上が金田正一ひとりの成績なのですから実質彼のチームともいえるでしょう。
ちなみにイニング数は全体の28%で、15年間での国鉄の試合、その1/4のアウトは彼が奪ったということ。特筆すべきは2年目の成績で、チームの半分近くの白星を一人で記録していることですが、1年や数年単位であれば戦前、戦後の投手でもこれ以上の結果を残している選手はいます。
しかし、それが14年連続でチームの1/4以上の白星を記録しているとなるとこれはまさにアンタッチャブル。
金田の移籍とともに国鉄は身売りしサンケイへ、そしてヤクルトへと続いていくわけですが、国鉄スワローズの歴史とは金田正一を語ることとも同義であるといえる、活躍と貢献を残しました。
今回は金田投手の国鉄時代にスポットを当ててみましたが、気が向いたらまた特筆するような成績の選手とその選手への依存度をまとめてみたいと思います。