tsuno流野球論

NPBのデータをもとにした、投手についての考察記事を主に書いていきます。

左投げのセカンド・ショート・サードってそこまでしてやらせちゃいけないのだろうか?

 

こういった記事を見たうえで、自分自身が考えていたことも踏まえつつの感想になります。

僕はこの考え方には大賛成。
 
投手をやらせるにしろ、内野手としての捕球→送球の流れは一塁への送球のあるポジションでなければ養うことのできない感覚。足運びだったり腰や上半身の動き、力加減だったり。なによりも投手はあくまで内野手
左で内野守備のノウハウを持っている選手が少ないように思える理由とも共通するのではないでしょうか。逆に内野守備がうまい投手はそれだけで長所になるわけですし。
 
自分自身も、左でありながらソフトボールでセカンドを守り、フットワークや一塁をアウトにしたりランナーを意識するという感覚を養えたのかな?と思うときがあります。
送球はうまくてもいかんせん地肩が弱く、フライへの対処が不得手だったのもあり、のちに外野へ行ったときはさっぱりでしたが…。
 
それぞれ得手不得手というものは存在しますし、なぜ左投が不利なのか(送球するにあたりステップの際、胸がホームベースと反対方向を向いた状態で送球をするのでステップ幅が増えてしまうため)というものを考慮すると、MLBの選手みたいに常時ジャンピングスローなどでステップを省き強いボール、もしくは取ってから早く正確なスローイングをできれば問題ないのでは…と個人的には思うところです。
 
無論、ほかの選手に比べ守備以外でのストロングポイントを持っていてできればこの選手を使いたい、ただ左投だから…という点で争いから外してしまうというのは勝ちに行くという目的からも外れてしまうのではないでしょうか?
 
常識だとかというのものは根拠があって提唱されているものですが、根拠自体を覆せるものがあれば使う価値がある、と思いますがね。
 
なによりも左投げでショート・サード・セカンドを守ることは足運びだったり一歩目の可能性を実感することのできるいい機会になるからね。まして強いボールが投げられれば前でファンブルしても取り返しが利くし。投手になった時にも十二分にプラスになるとは思うけれど。
 
フィールディングの良い選手は少ないって元プロの方でも少なからず体感しているものなんだね。自分がイメージしているところと合致していてよかった。ただの思い込みだったら少しショックだったし。
 
結果だけ言うなら、若いうち、身体を動かすノウハウを覚えられるうちにはいろいろなポジションやスポーツを体験して向き不向き、得手不得手を自分なりに理解しながら楽しいと思えることを中心に追及していくことこそが上達・スポーツを好きになる一番の近道なのかなって思うな。

広尾晃氏の「球数制限」感想

広尾晃さんの

「球数制限」についての感想。

個人的な感想でいえば球数制限というルールを設けることは抑止力として有効である、と考えます。ただ、それはあくまで「抑止力」でしかありません。

このルールと目的を頭に入れたうえで指導者・父兄・学校やリトルシニア・外部が連携を取って競技者自身の心身の健康を第一に考えてこまめに話し合いながらスポーツを行っていくことが最大の目的であり目標であるのではないかと思っています。

 

僕自身、指導者としてアマチュア選手を教えたという経験はなく、あくまで一父兄、選手という立場でこのアマチュア野球と接点を持っていました。

その中で腰を壊し硬式からリハビリを経て軟式へ行ったり、行き過ぎた勝利至上主義で心を壊し登校拒否になったりなどそれぞれのカテゴリー、いろいろな境遇の中でたくさんの苦しみを見てきました。

自分自身もまた個を犠牲にして勝利のための最善策を取る、という教科書通りの野球をやらされていて、つまらなくはないものの決して楽しいと胸を張って言えるような野球人生ではなかったです。自分の場合は父親が監督だったためチームの模範、矢面に立つものとしてその指針に沿ったふるまいをしなければならないという側面もありましたが…。

 

さて話を戻しますが、この本でも多くの個所で触れられていた「小・中学生段階での意識改革」これこそが、いま議論になっている高校野球での球数制限よりも何倍も重要なものだと思っています。親御さんや各カテゴリの指導者も自分自身の身体ではないだけに初戦他人事。

なによりも教えている人たち自身の成功体験に基づいた教えをしているのがすべてで、その裏で怪我や心を壊して野球を離れた人たちのことは見ていないのではないか?

マチュア野球においては親御さんや父兄にかかる負担もまた非常に重たく、野球人口の減少を招く要因にもなっていると思われます。お茶当番や現地までの送迎、早朝から夜遅くまでの活動など。

意欲ある親御さんにとっては大したことないものなのかもしれませんが、野球人口の増加、底辺の拡大を図るにこんなハードルがあるのでは尻込みするのは尤もです。そしてなによりも、学生の本分でもある勉強に割く時間も、床について心と体をリフレッシュする時間も削られてよりストレスを消化しにくい環境になるのではないでしょうか。

このような環境下で、心身ともに健康で、アマチュアスポーツを楽しみ、のちの社会に出た際に、自身や社会に良い影響をもたらす人材を育成することができるのでしょうか…?

 

正直、個人的には小学生以前、幼児期における運動環境の少なさもまた非常に大きな問題であると考えています。今では公園や空き地、駐車場などはボール遊びとかいろんなものが禁止、禁止となり近くで遊べる場所がものすごく減っているな…と感じることがあります。同時にゲームなど室内で、身体を動かさずとも遊べるものが増え選択肢が広がったことも要因にありますが。その中で、身体を動かさなければ動かさないほど骨の強度が弱くなったりするのではないか…?と考えるようになりました。

これから、この世代の子供たちがどのくらいの頻度で、衝撃で怪我をするのか。

また、その怪我の重傷度は以前の世代と比べてどのくらいの違いが生まれるのか。

遊ぶ頻度を減らす(意図的に増やす)ことでどのような変化が起こるのか、そしてその後の小中学生とかの段階でどのくらい故障率・重傷度が変化するのか検証し、その後の幼年期からの子供たちの未来のために大人たちに何ができるのかを考える必要があるのではないでしょうか…。

今も野球に残る「時代錯誤の根性論」の根っことは?

 

tsuno2no.hatenablog.com

 先のブログにおいて、野球云々をおいたうえでの「根性論」を自分なりに推測してみましたが、そのうえで今もなお残り続けてしまっている「野球においての根性論」を考えていきたいと思います。

まず、高校野球の指導者についている人の多くに言えることは自身の成功体験に基づいた指導をし、甲子園(高校野球)をゴールととらえていること。

そして、もう一つこの「根性論」を助長しているのは高校野球を見ている第三者であるということ。

 

ここで声を大にして言いたいことは

「高校球児はテレビやスタンドで見ている人たちの見世物でもないし商売の道具でも何でもない。この先いろいろなことを学び社会に出て将来の日本を支えていく人材になる」ということ。

 

そんな優秀な人材を炎天下でヘロヘロになりながら戦っている姿を見て「頑張れー」だとか肩肘を壊したり内部に怪我を抱えている状態の中でも投げさせてボロボロになって「よくやった」だとか。再起不能になったりこの先に障害が残ってもなお他人事にして阿呆みたいに見ているのはちょっと自分には考えられないです。

怪我やスポーツにおける障害について最近少しずつ学ぶようになり、改めてこの「高校野球」と「甲子園」、そしてそれを取り巻く第三者や指導者、父兄やOBなどの歪な考え方に恐怖を抱くようになりました。

 

もちろん、この問題は高校野球におけるものだけでなく、さらにその下のシニア、リトルでも充分に問題になるものであると思います。身体が完全に完成されていない状態で肩肘への負担を大きくかけることはもちろんその後に影響を与えることは避けられません。本当はその前段階(幼児期)からボール遊びだったりかけっことか鬼ごっこなど、ジャングルジムとかいろんな遊具や竹馬など道具を使った遊びを積極的におこない走ることや切り返し、下半身を中心に体全体の動作を通じて基礎体力の向上を自然に図ることもまた非常に重要でのちの怪我のリスクを防ぐ一因になるのではないのではと考えてもいます。

 

今はどうしても外で遊ぶ場も少なくなってしまっているだけに約十年後にどのくらい身体に違いが生まれるのか。遊ぶ環境を削った結果が出るのもまた約十年後。そこで気付いても遅いだけに、今の世代はどのようにして未来を担う子供たちの身体を守り、心を守りスポーツで健康な心と身体を育成していくのでしょうか…。今の制度の元においては、共働きでないと最低限の生活すら危うく、子育て自体が放任とならざるを得ない社会。こんな中で、どのようにして未来の日本の担い手を育てていくのでしょうか。

僕は知りません。

変化は時代がもたらすものなのか?(「根性論」について)

僕はこの問いに関しては「否」と答えると思います。

 

変化をもたらすものは時代、時の流れではなくその時々において一番声の大きい世代の思想や原体験に基づいたものが広がっていった結果ではないでしょうか。

例えば戦中・戦後間もないころ(20世紀前半)の価値観の一部と僕は考えている根性論。

これらは「今やらねばやられる」「明日はあるかわからない」というような当時の世論・原体験を重ねてきた中で根付いたものであると思っています。

50年近く続いたこの時代と考え方は、当時幼児期であった世代が成長した東京五輪からバブル経済(20世紀後半)にかけてもほぼ変わることはなかったのでは。

というのは高度成長期からバブル経済を支えたメインの層は戦中戦後の考え方を持った大人の価値観を継承している、そして成功体験の中に根性論が入っていたことが大きいのだと思います。この成功体験の裏で多くの挫折や心身を壊した犠牲があった現実は見えることもなく。

人口自体が多く、例として1%が犠牲となった場合当時であればまだ代わりの人材を見つけることが容易であった…それが現在では若者の人口も減少し代わりの人材を見つけることが容易でなくなっているということが現実であり、多くの企業が「人材不足」と嘆いているものです。

根性論などで心身を壊すという経験がなく自身は成功し生き残っているからこそ下の世代にも同じことを行う。失敗すれば責め新たな人材を探す…が見つかりにくく、残っている人材は同じく心身を壊していく。人材不足になればなるほど一人当たりの負担は増え、より心身を壊しやすい環境を作り上げていく。そして、壊している人間は自分やその考え方が元凶であることに気づくことなく更に破壊を繰り返していき、その中で残った人間は同じことをさらに下の世代に行う…と。

 

なぜ昔に根性論が支持されたのかは大方が刹那的な考え方であったことが大きく、またその後は戦敗国という立場の中で必死に抵抗をした結果であるとも予想します。

 

これらの枷がなくなって、最も重要ともいえる人的資源が減少し限られてきている中でなお、心や身体を破壊しながらものづくりを行うことは未来への可能性を確実に少しづつ削っていると言えます。

これらの結果が出るのは数十年後。ちなみに戦後東京五輪等で工事を行ったり高層ビル群を立てた結果も関係している(と推測されている)ゲリラ豪雨に代表される異常気象はここ数年、当時から30~50年前後の時間差で発生しています。

 

今回は野球に結び付けることなく「根性論」を僕なりに推測してみましたが、野球やスポーツに根付く根性論についてはまたの機会に書いてみようと思います。

国鉄のエースであり続けた男、金田正一 追記

 

tsuno2no.hatenablog.com

 

過去にこんな記事も書きましたが、改めて金田正一投手の特集を。

金田投手は個人的に最も尊敬する左腕投手ですので、もう少しそのすごさを掘り下げていきたいと思います。

金田投手の国鉄時代の15年間での成績は814試合に登板し、(うち先発が488、完投が344)353勝267敗、勝率.569。そして国鉄はこの15年間で833勝1070敗41分で勝率.438。

なお、金田投手を抜いた国鉄の勝率は.311。

 

上記を見ても分かるように金田投手がいないと国鉄の状態はとんでもなく弱いと言え、15年のうち3度(1953.1955.1958)チームの半分以上の白星を一人で上げているシーズンがあります。

それ故か、離脱・不振が許されない状態の中でフルシーズン在籍した2年目から14年連続での20勝、200奪三振、300イニングかつ防御率リーグトップテン入りを達成。

 

また、当時の投手においては奪三振率が極めて高く、10年目の1959年は300イニング以上(304 1/3)を投げ、イニング数を上回る奪三振(313)を記録。

一シーズンで300イニング以上投げて「奪三振>イニング数」を達成した投手はほかに江夏の2度(1968.1970)のみ。

 

通算奪三振に至ってはNPB唯一の4000越え、2位の米田投手と500以上差をつけているところからも長きにわたって奪三振マシーンとして君臨していたこともうかがえます。

 

 

※データ参照・日本野球機構wikipedia

戦後最大の放火事件から考える、リスクマネジメントとその根っこ

昨日起こった京都でのアニメーション会社放火事件。

7/19の朝刊を見た地点で死者33人、という非常に痛ましいものであると同時に一アニメ好きとしても憤りを禁じ得ません。

 

しかしながら、起こってしまった出来事をいつまでも嘆くだけでは前には進むこともなく一番必要なことは諸々の事象においての要因を一つ一つ解明し、その上で対策を取ること。また、火種があった部分はことが大きくなる前に予防を図ること。これらについて考え実行していくことこそが重要なのではないでしょうか。

 

建物内の様子や構造、危機管理についての周知徹底があったかどうかはまだわかりかねますが、それでも個人的に疑問に思うことは、

・容疑者がガソリンを入手するできたこと。

これは現状、セルフ式でも従業員が入れることで入手が可能。実際ガソリンスタンドがないような場所を走行する場合には必要になるし全面的に禁止、とすることも難しい問題ですが。それでも購入の際に身分確認くらいは必須にするのが対策として妥当なのでは。

 

一歩間違えればとんでもない凶器に様変わりするものですし、身近にあるものに対しての危機意識をもある程度徹底していくことは非常に大事。

 

また、こういったことは下手すればどこの企業でも起こりうることで、被害を少しでも抑えるには避難経路の周知や一人一人の危機意識の徹底は必要不可欠かと。

同時に、それなりの火種・クレームを抱えているならばその火種が大きくならないようにしていくことなどのリスク回避は非常に重要。

 

 

一応これは野球に関するブログなので野球での視点も考えますが、大けがをしたという結果が起こるとする。

その怪我に至った原因はなんなのか、そしてその原因に関連する事象やそういった結果が起こる可能性がありえたか。その時に対策や予防案、危機意識の周知を行っていたか。選手・指導者・家庭や父兄の人たちで情報交換をこまめに行い違和感をより早く周知できる仕組みづくりをすることが必要では、という結論を導き以後対策を行っていく…など。

 

仕事でも学生スポーツでもなんでも危機意識を持つことと、情報交換を行い関係性を築いていくことは重要なのではないか、同時にこれこそがリスクマネジメントの根本であると考えされられました。

中日ドラゴンズ 前半戦総括

7/10の広島戦に2-1で勝利し、借金6という状態でオールスターブレイクを迎えるドラゴンズ。これで4連勝フィニッシュ。

ということで、この前半戦を総括です。

開幕から5割近くをうろうろする中、ついに久しぶりの貯金も経験。その後平田選手の離脱やゴールデンウイークでの失速もあり借金を抱えましたが、勝野投手、清水投手に最後の石橋選手などの若い力、井領選手、遠藤選手、加藤選手、阿部選手と危ない立場と思われた選手たちもそれぞれ必死で結果を残してきたことが平田選手離脱の穴を最小限にしたり。開幕前あまり想像できなかった選手の活躍も大きかったと思います。

一方で元から懸念されていた投手陣。やはりリリーフでの負けが現在の借金に直結していると思います。田島選手、又吉選手と大きく乱れ、鈴木博選手も期待に100%答えられたとは言えない結果。それでも交流戦明けから勝ちパターン、救援陣が整備されてきて少しずつ先発投手も復帰。打線も高橋選手の活躍や平田選手・大島選手の安定感、ビシエド選手も結果を残していてなおかつチーム守備力はリーグ髄一。

 

この後半戦は若い選手中心により層に厚みを加えることと今日も抑えたR.マルティネス投手に代わるクローザー、勝ちパターンの確立。

藤嶋投手や笠原投手、鈴木博投手など、野手陣では藤井選手や堂上選手といった選手がそれぞれの持ち場で結果を残すこと。こうして若手・中堅・ベテランが融合し層の厚みと競争が進めばチームの底上げと同時に星を重ねていくことができるのでは。

現状Aクラスを狙える位置、この勢いでここ数年の鬼門である夏場を乗り越え久しぶりのCSを経験したいものですね。